日曜朝の礼拝「今しばらく、あなた方と共にいる」

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今しばらく、あなた方と共にいる

日付
説教
吉田謙 牧師
33 今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。
34 あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。
ヨハネによる福音書 7章25節-36節

 「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」これは十字架の預言です。「まだしばらくは、あなた方と一緒に過ごすけれども、やがて私は十字架の上で死に、天の父のもとに帰っていく。そうなったら、もうあなた方は私を見つけることが出来ない!」こういうお言葉です。

 都の人々にとって、イエス様がこの神殿に立たれ、ここで教えを語られる時というのは、ある人にとっては、確かに救いのための最後のチャンスだったのかもしれません。イエス様の救いは、この後も、沢山の人々に差し出されました。むしろ、十字架にかかり、復活なさってからの方が、異邦人世界にまで救いは広がっていったのです。今では、もう世界中にこの福音は宣べ伝えられていきました。しかし、「今、このエルサレムで聞いているあなたにとっては、今が最後なのだ!もうこれからは私を見つけようとしても見つけることが出来ない。私のところに来ようとしても来ることが出来ない!」このようにイエス様は警告なさったのです。

 このイエス様のお言葉には、非常に厳しい響きがあります。何故でしょうか。それは命に関わることだからです。神様の愛は、確かに私たちの思いを遙かに越えた、忍耐強い愛です。けれども、神様は永遠に待ち続けて下さるわけではありません。やはり〆切期限があるのです。もし〆切期限がなく、神様がいつまでも待ち続けて下さるならば、これは自堕落な私たちにとって本当に嬉しいことであり、これこそ本当の神様の愛である、と思うのかも知れません。けれども、どうでしょうか。無期限に待ち続けるというのは、本当の愛でしょうか。むしろ、それは無関心であり、愛に逆行する行為ではないかと私は思います。結局、こういう態度が人間を甘やかし、駄目にしてしまうのです。

 預言者イザヤは、神様に背き続ける人々に向かってこう呼びかけました。「主を尋ね求めよ、見いだしうるときに。呼び求めよ、近くにいますうちに。神に逆らう者はその道を離れ/悪を行う者はそのたくらみを捨てよ。主に立ち帰るならば、主は憐れんでくださる。わたしたちの神に立ち帰るならば/豊かに赦してくださる。」イザヤ書55章6節、7節の御言葉です。

 神様が近くにおられる内に神様に立ち返るように!これは私たちが聞き逃してはならない語りかけではないかと思います。確かに死ぬまで救いのチャンスは開かれているでしょう。あのイエス様と一緒に十字架に掛けられた一人の犯罪人が、死ぬ直前にイエス様を信じ、イエス様から「あなたは今日私と一緒に楽園にいる!」と約束していただいたように、確かに死ぬ寸前に救われる人もいるのです。けれども、全ての人がそうなのではありません。みんな一人一人、神様が定めて下さった時があるのです。「あなたはどこにいるのか。悩んで、苦しんで、藻掻いて、どうすることも出来なくて、愛を求めているあなたはいったいどこにいるのか?!」このように神様が特別に呼びかけて下さる「時」が、私たち一人一人にあるのです。

 改革派教会に、かつて田中剛(ごう)二(じ)先生という名説教家がおられました。神港教会の前々代の牧師です。田中先生は、神学生に対して、説教を語る姿勢について何度も口癖のように語られたことがあったと言います。それは「また来週の日曜日があると思って語るな!」という意味のことでした。信徒の中に、もしかすると、今週中に天に召されて、もう来週には礼拝に来ることが出来ない方がおられるかもしれない。あるいは、自分自身が天に召されて、来週には語ることが出来ないかもしれない。あるいは、もしかすると、明日にでも天変地異が起こり、もう来週の日曜日は、ここで礼拝を守ることが出来ないかもしれない。「だから、次があると思うな!」「この日に全力を尽くせ!」「この日の礼拝に命を懸けよ!」このように田中先生は繰り返し語られたそうです。本当に身が引き締まるような言葉ですね。自分は果たして、そういう態度で、毎週、礼拝に臨んできただろうか、と本当に反省させられます。けれども、これは何も牧師だけの話ではありません。信徒一人一人にも同じことが言えるのではないかと思います。

 私たちは、神様の招きの声が聞こえる時に、神様のもとに立ち帰らなければなりません。けれども私たちは、色んな口実を盾にして、この神様の招きを拒むことがあります。今はちょっと忙しいので、もう少し落ち着いてから神様の招きに応じることにします、と。けれども、落ち着いてからでは遅すぎることがあるのです。今、御声を聞かなければならない。今、神様のもとに立ち帰らなければならない。そうでなければ遅すぎることがある。神様が全力を尽くして、ご自分の独り子を投げ打ってまでも、私たちに近づこうとしておられます。こんなに貴重な今という時間はありません。この神様の愛を拒むような一大事がいったいどこにあるでしょうか。

 一週間の歩みの中で、いつのまにか神様から離れ、神様との距離を広げてしまう私たちです。礼拝の度に、主はそういう私たちに対して「戻ってくるように!」と招いておられます。この御声が聞こえる今という時に、悔い改めをもって神様のもとに立ち返り続けたい、と思います。

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千里摂理教会の日曜礼拝は10時30分から始まります。この礼拝は誰でも参加できます。クリスチャンでなくとも構いません。不安な方は一度教会にお問い合わせください。

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