2021年度の説教要約 (新しい順)
神の子イエス
ヨハネによる福音書 10章31節-38節今日の箇所で語られていることの中心は、何と言ってもイエス様は、言葉を通して、あるいは業を通して、また最終的には十字架を通して、父なる神様のことを寸分の狂いもなく現している、ということです。 イエス…
羊飼いの礼拝
ルカによる福音書 2章8節-20節羊飼いたちは、ユダヤ社会の中では見捨てられた存在でした。しかし、その羊飼いたちに、御子イエス・キリストの誕生の知らせが真っ先に告げ知らされたのでした。しかも、世界人類のためにというただ単なる一般論…
主イエスの羊
ヨハネによる福音書 10章19節-30節「あなた方はわたしの羊ではない。」これが人々がイエス様を信じることが出来ない根本的な理由なのだ、と主は言われました。では、イエス様の羊とは、どういう人のことを言うのでしょうか。27節のところには、こ…
イエスは羊飼い
ヨハネによる福音書 10章11節-18節今日の箇所で注目したいのは、羊と羊飼いの絆が非常に堅く、お互いがお互いのことをよく知り合っている、ということです。このことは、前回学んだ1節から5節のところにも既に語られていました。今日の箇所では、1…
わたしは羊の門である
ヨハネによる福音書 10章1節-10節後のところで、この門はイエス様のことである、と解説されています。つまり、イエス様を通らないで羊に近づく人間は羊飼いではない、羊泥棒なのだ、とイエス様は指摘されたのでした。これは、直接的には、ファリ…
ひざまずく信仰
ヨハネによる福音書 9章35節-41節イエス様は道ばたで物乞いをしていた生まれつき目の見えない人の目を癒されました。ヨハネによる福音書は、この目が癒された人の魂の目が、どのようにして開いていったのかを、これまで9章の最初から順を追って…
たた一つ知っていること
ヨハネによる福音書 9章8節-34節先週は、生まれつき目の見えない人をイエス様が癒された、という奇跡物語を学びました、今日はその後の物語を学びます。先週学んだように、この箇所で「見える」「見えない」と言われているのは、肉体の目のこと…
シロアムの池に行って洗いなさい
ヨハネによる福音書 9章1節-12節今日の箇所には、生まれつき目が見えない人をイエス様が癒されたという奇跡物語が記されています。ただし、ただ単に不思議な出来事を伝えているだけではなくて、この物語には象徴的な意味が込められているのです…
わたしはある
ヨハネによる福音書 8章48節-59節この『わたしはある』という言葉は、旧約聖書では、神様のことを指し示すお言葉です。ですから「アブラハムが生まれる前からわたしはある」というのは、アブラハムが生まれる前から、私は存在しているというだけ…
なせ真理を拒むのか
ヨハネによる福音書 8章39節-47節今日の箇所でイエス様は、イエス様の教えに反発し、イエス様を殺そうとするあなた方の父は悪魔なのだ、という非常に衝撃的な言葉を語られました。そもそも悪魔の目的とは、いったい何でしょうか。「悪魔は最初か…
真理はあなたを自由にする
ヨハネによる福音書 8章31節-38節ここでイエス様が言われた「自由」とは、いったいどういう「自由」なのでしょうか。それは罪の奴隷状態からの自由です。34節のところでイエス様は、「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である…
わたしは去って行く
ヨハネによる福音書 8章21節-31節今日の箇所でイエス様は、「あなた方は自分の罪のうちに死ぬことになる」と三度も繰り返しておられます。これは、いったいどういうことでしょうか。この「罪のうちに死ぬ!」というのは、人生の終わりが近づき、…
わたしは世の光である
ヨハネによる福音書 8章12節-20節今学んでいる7章と8章には、ユダヤの秋のお祭りである仮庵祭の時に、イエス様とユダヤ人たちが交わした様々な議論が伝えられています。この仮庵の祭の期間中は、毎日、祭司がシロアムの池の水を黄金の器にくみ…
わたしもあなたを罪に定めない
ヨハネによる福音書 7章53節-8章11節一人の女性が姦通の現場を押さえられ、捕らえられました。そして、その女性は、早朝に神殿で教えておられたイエス様のもとに連れてこられたのです。彼女を連れてきたのは律法学者やファリサイ派の人々でした。彼…
聖霊の時代
ヨハネによる福音書 7章40節-52節マタイによる福音書のクリスマス物語によると、東の国の占星術の学者たちがエルサレムにやって来て、「救い主としてお生まれになった方はどこにおられますか?」と尋ねると、エルサレムの学者たちが聖書を調べ、…
渇ける者への招き
ヨハネによる福音書 7章37節-39節「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。」この御言葉は、本日、礼拝の最初に「招きの言葉」としてお読みした旧約聖書イザヤ書55章1節の御言葉に基づいています。そこにはこう言われていま…
今しばらく、あなた方と共にいる
ヨハネによる福音書 7章25節-36節「今しばらく、わたしはあなたたちと共にいる。それから、自分をお遣わしになった方のもとへ帰る。あなたたちは、わたしを捜しても、見つけることがない。わたしのいる所に、あなたたちは来ることができない。」…
神の御心を求めて
ヨハネによる福音書 7章15節-24節この「驚いている」という言葉は、「感心している」という意味ではなくて、「怪しんでいる」という思いが込められた言葉です。では、人々にそのような不信感を抱かせた一つの業とは、いったいどういう業だったの…
神から出た教え
ヨハネによる福音書 7章14節-18節ここでイエス様は、「私の教えが神様から直々に授かった教えであることが分からないのは、あなた方が神の御心を行おうとしていないからではないか!」と指摘されたのです。「神の御心を行おうとする」というのは…
神の時を見分けよ
ヨハネによる福音書 7章1節-13節「私の時はまだ来ていない。私はこの祭りには上って行かない!」こう言われたイエス様が、そのすぐ後にエルサレムに上って行かれたのです。これはいったいどういうことでしょうか。この謎を解く鍵は、この「私の時…
あなたがたも離れて行きたいか
ヨハネによる福音書 6章60節-71節このところ私たちは、イエス様が、ご自身の十字架の贖いについて、衝撃的な言葉をもって説き明かされた場面を学んできました。今日の箇所には、このイエス様の説き明かしを聞いて、「実にひどい話だ。だれが、こ…
永遠の命に至る命のパン
ヨハネによる福音書 6章48節-59節今日の箇所でイエス様は、ご自分がどうして永遠の命を与えることが出来るのか、その根本的な理由を明かにされました。それは、主イエスの肉を食べ、血を飲まなければ永遠の命は得られない、ということでした。こ…
引き寄せてくださる神
ヨハネによる福音書 6章41節-47節この「引き寄せて下さる」という言葉は、重い荷物を引きずり上げる、という意味の言葉です。主なる神様は「絶対に神など信じない、キリスト教など信じない!」と頑なに拒んでいる人であっても、やがてその頑なな…
わたしは決して追い出さない
ヨハネによる福音書 6章34節-40節この「追い出す」という言葉は、よくイエス様が譬え話の中で、「外の暗闇に追い出せ。そこで泣きわめいて歯ぎしりするだろう」という時に使われる言葉です。ですから、この「追い出す」という言葉には、「滅びへ…
わたしは命のパンである
ヨハネによる福音書 6章22節-35節イエス様は、ご自分を指さしながら「わたしが命のパンである」と宣言なさいました。これは驚くべき宣言ではないかと思います。この「わたしが命のパンである」という言葉は、先週も学びましたように、「エゴー …
わたしだ、恐れることはない
ヨハネによる福音書 6章16節-21節17節で「暗くなっていたが」と翻訳されている言葉は、「暗闇になっていたが」という言葉です。この暗闇という言葉は、ヨハネによる福音書においては、人生の暗闇を言い表す特別な言葉なのです。また、ここでは弟…
アッバ、父よ
コリントの信徒への手紙一 8章12節-17節今日の箇所には、「肉」という言葉が何度か使われていました。この「肉」というのは、生まれながらの人間がもっている神様に背く性質のことを言います。欲望のままに生きる。あるいは神様に背いて生きる。こうい…
魂の養い
ヨハネによる福音書 6章1節-15節今日の箇所には、イエス様が、男性だけでも五千人以上の人々を、五つのパンと二匹の魚で満腹させて下さった、という奇跡物語が記されています。そしてこの奇跡物語は、四つの福音書全てに記されているのです。た…
主イエスを証しする聖書
ヨハネによる福音書 5章37節-47節今日の箇所には、イエス・キリストこそ救い主であることを、他でもない聖書が証ししている、と語られています。ここで言う「聖書」というのは旧約聖書のことです。イエス様が活躍しておられた頃は、まだ新約聖書…
御子についての証し
ヨハネによる福音書 5章31節-36節イエス・キリストが救い主であることは、いったい何によって証しされるのでしょうか。それはキリストの業なのだ、と言うのです。イエス・キリストが行われる業そのものが、キリストが救い主であることを証しして…
死から命へ
ヨハネによる福音書 5章19節-30節ここで言う「永遠の命」というのは、ただ長々と続く命のことではありません。そうではなくて、生きていることが本当に素晴らしい、喜びに満ち溢れている、そういうことが生き生きと味わえるような命です。生きて…
ご覧、あなたは良くなった
ヨハネによる福音書 5章9節-18節イエス様は、エルサレムの都のベトザタという池の側で、38年間病気で横たわっていた一人の人に、「良くなりたいか?!」と語りかけられました。しかし、この人は、このイエス様の呼びかけに応えることが出来ま…
良くなりたいか
ヨハネによる福音書 5章1節-9節イエス様は、ユダヤの祭りの日に、エルサレムに再び上られ、ベトザタという名前の池に行かれました。このベトザタの池には、この頃、ある時間になるとピューと吹き出し、またピタッと止んでしまう間欠泉があったの…
あなたの息子は生きる
ヨハネによる福音書 4章43節-54節ある時、カファルナウムに住んでいる王の役人の愛する息子が重い病気にかかりました。しかし彼の力も立場も、息子の死の病には何の力にもなりませんでした。この時、彼は、初めて自分の無力さを、嫌というほど思…
伝道の喜び
ヨハネによる福音書 4章27節-42節今、私たちは、イエス様が一人のサマリア人の女性と出会ってくださった、という物語を読み進めています。先週、私たちは、彼女が今語り合っている相手(イエス様)が、神様から遣わされた救い主であることを悟っ…
霊と真理による礼拝
ヨハネによる福音書 4章19節-26節今、学んでいる4章には、イエス様がサマリア人の女性に語りかけられ、ついにはこの女性を救いに導かれた、という物語が記されています。今日の19節のところから、話題は「生きた水」から「礼拝」の問題へと移っ…
心の飢え渇きを癒される方
ヨハネによる福音書 4章1節-18節今日の箇所でイエス様は、井戸の側で休んでおられる時に、その井戸に水を汲みに来たサマリア人の女性に向かって、「水を飲ませてください」と何気なく語りかけておられます。そうやって、この女性とイエス様との…
神の言葉を語れる方
ヨハネによる福音書 3章31節-36節イエス様を信じるかどうかで、人は二つに分かれていきます。どっちつかずの中道の道はありません。「御子を信じる人は永遠の命を得ている。」これは、死んだ後に、やがて永遠の命が与えられる、ということではあ…
衰えても、なお喜ぶ
ヨハネによる福音書 3章22節-30節今日の箇所には、洗礼者ヨハネという人の素晴らしい生き様が伝えられています。彼は、自分の人生に衰えの陰が差し始めた時に、「私は喜びで満たされている」と語ることが出来たのです。私たちの人生にも、必ず衰…
神の愛
ヨハネによる福音書 3章16節-21節宗教改革者ルターは、この3章16節の御言葉を「小さな福音書」と呼びました。まさに、キリストの福音が、この一節に凝縮されている、と言うのです。本当にその通りだと思います。福音の中心は、言うまでも無く神様…
教会に生きる喜び
コリントの信徒への手紙一 12章12節-27節神様は、実に深い配慮によって、体の一つ一つの部分を作り、配置なさっておられます。その神様の絶妙な配分を無視し、体の一つ一つの部分が、その個性を失い、全部、同じ働きをするようになってしまったならば、…