日曜朝の礼拝「真理の霊」

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真理の霊

日付
説教
吉田謙 牧師
12 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。13 しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。
ヨハネによる福音書 16章4節-15節

 この時のイエス様は、まだ十字架にはついておられません。この後に大事な事柄が次々に起こっていくのです。イエス様が十字架にかかり、復活なさり、天に昇り、聖霊が人々に与えられる。そして教会が次々に建てあげられていく。イスラエルだけではなくて、全世界へと教会が広がっていくのです。これは、イエス様がこの話をしておられる時には、まだ起こっていないことでした。まだ弟子たちはそのことを見ていないのです。ですから、この時の弟子たちに、いくら説明してもそれが理解できるはずがありません。そこでイエス様は続けてこう言われました。「しかし、その方、すなわち、真理の霊が来ると、あなたがたを導いて真理をことごとく悟らせる。その方は、自分から語るのではなく、聞いたことを語り、また、これから起こることをあなたがたに告げるからである。」(13節)

 「自分から語るのではなく、聞いたことを語る。」これは「聖霊が新しい教えを始められるのではなくて、イエス様の教えを聖霊は、その時々に相応しく適応して下さる」ということです。イエス様の十字架や罪の赦しや与えて下さる永遠の命、復活なさって今も生きておられること、神様の右に座って私たちのために執り成し続けていて下さることがどれほどの力となり、喜びとなり、私たちが今日を生きるためにどれほどの励ましになるかということを、聖霊は現代に生きる私たちに、もう一度、語り直して下さるのです。この礼拝の時に、私たちはそういう聖霊の語りかけを聞くのです。

 しかし、聖霊が信じる者たちに教えて下さるのは、ただそれだけではありません。もう一つの大事な側面が13節の後半に語られています。「また、これから起こることをあなたがたに告げる。」

「これから起こることを聖霊があなたがたに告げる」と言うのです。イエス様が十字架に死なれ、天に昇られた後に、弟子たちは新しい問題を次々と経験しました。キリストの十字架と復活を信じる教会が出来たのは、勿論、イエス様の十字架の後です。イエス様の十字架を信じる教会の中で、どのように生きるのか、どのように人々を組織し、人々を導くのか、こういうことを地上に残された弟子たちは知らなかったのです。十字架に架かる前にもイエス様は、何度もご自分が十字架に架かって死に、その後に復活なさることを弟子たちに告げました。けれども、弟子たちはまだその時には、それを受けとめることが出来なかったのです。ですから、こういう十字架の後に起こる今後のことについては、聖霊が教えて下さる、とイエス様は約束して下さったのでした。勿論、先程も触れましたように、聖霊はイエス様から聞いたことをそのままに語るわけで、聖霊が全く新しい教えを始めるわけではありません。十字架のイエス様の恵みを、今の私たちに当てはめながら教えて下さる。これが聖霊の働きなのです。

 福音がギリシャ世界に広まっていった時に、教会は今まで経験したことのないような問題を幾つも抱え込みました。例えばコリントの教会では、市場の肉を食べる人間は汚れた人間になる、と信じる人々がいました。市場の肉というのは、だいたいが一度は偶像に備えられた肉が売られていましたから、こういう肉を食べたなら偶像に仕えることになり、汚れてしまう、と主張する人々がいたのです。それに対して、そんなことを恐れる人間は本当に迷信じみていると、そういう人々を馬鹿にし、嘲(あざけ)る人々がもう一方にはいたのです。コリントの教会では、こういう人々が互いに譲らず、真っ向から対立していました。パウロはこの問題について、市場の肉を食べてもよいという言い分を認めながらも、市場の肉を食べる人々を嘲る態度については厳しく咎めたのです。そして、このように彼らを諭しました。「その兄弟のためにもキリストが死んでくださったのです。」(第一コリント8章11節)。新しい問題が起きた時に、パウロはこの問題についてイエス様の十字架から考えることが出来ました。市場の肉を食べてビクビクするような兄弟たちのためにもイエス様は死んで下さった。そういう目でこの兄弟たちを見るように、とパウロは教えたのです。このようにして聖霊は、新しい問題に頭を悩ませていたパウロに対して、十字架の恵みを適応しながら正しく導いて下さったのでした。

 ある時イエス様は、祈る私たちに対して、「あなたがたの天の父は、求める者に聖霊を与えて下さる」(ルカ11:13)と約束して下さいました。愛する家族や友人が、なかなかイエス様を信じてくれない。これが私たちの悩みの種でしょう。また私たちは様々な苦難を経験し、しばしば神様に見捨てられたかのような思いを抱くことがあります。この世は悪魔の思い通りに操られているのではないかと落ち込んでしまうのです。また、様々な難問をかかえ、それにどのように取り組んでいくべきかを悩むこともあります。そういう私たちだからこそ祈るのです。「主よ、助けてください」と。その時に、神様はその私たちの祈りを必ず聞き上げ、聖霊を私たちに送って下さいます。聖霊を愛する者たちのところに送り、最も相応しい時に、イエス・キリストの十字架の恵みを悟らせて下さるのです。たとえ悪魔に牛耳られているようであっても、「勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」と聖霊によって私たちに語りかけ、萎えた心を励まし、立ちあがらせて下さいます。そして、どう歩むべきかを迷っている時には、聖霊が十字架のイエス様の恵みを、その課題に当てはめながら、私たちに歩むべき道をはっきりと指し示して下さるはずです。ですから、どんなことがあっても、決して諦めることなく、祈りをもって取り組んでいきましょう。その時に神様は、必ず私たちに聖霊を送って下さいます。

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