日曜朝の礼拝「キリストにある一致」

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キリストにある一致

日付
説教
吉田謙 牧師
2 わたしはエボディアに勧め、またシンティケに勧めます。主において同じ思いを抱きなさい。3 なお、真実の協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。二人は、命の書に名を記されているクレメンスや他の協力者たちと力を合わせて、福音のためにわたしと共に戦ってくれたのです。
フィリピの信徒への手紙 4章2節-3節

 今日の御言葉は、フィリピ教会の中で起こっている争いを解決するために、パウロが書き記した勧めの言葉です。争い合っていた二人は、エボディアとシンティケという婦人たちでした。

 3節のところでパウロは、ある人に、この二人の婦人たちの魂の配慮をお願いしています。「なお、真実な協力者よ、あなたにもお願いします。この二人の婦人を支えてあげてください。」

 この「真実な協力者よ」と言われている人が、誰であったのかは不明です。きっとフィリピの教会の有力な指導者のことを指していたのでしょう。フィリピの教会の人々は、この呼びかけの言葉を聞いて、すぐに「あの人のことだ!」と気づいたに違いありません。ここでパウロは、その人に向かって、この二人の婦人たちに対する牧会的な配慮を求めているのです。

 ここでパウロは、まず「二人を支えてあげてほしい」と協力を要請しています。これは、とても教えられる解決方法ではないかと私は思います。誰かと誰かが争い合っている時に、パウロはどちらが正しいのかを判定しようとは思いませんでした。あるいは二人のことを叱ってほしい、とも言いませんでした。そうではなくて、二人を支えてほしい、両方とも助けてほしい、とパウロは願ったのです。争いの解決方法は、その時々の事情によってケースバイケースであり、これが正解という答えはありません。けれども、教会においては、今でも多くの場合、こういう仕方で争いを乗り越えることが出来るのではないかと私は思います。

 二人の人を和解させるという時に、このパウロの勧めは、教えられる点が多くあります。争いの原因を聞き出したり、どちらが正しいかを判定するのではなくて、二人を支持し、支えるのです。二人とも大切な存在として扱うのであります。

 この二人が、どれほど大切な人たちであるかを、ここでパウロは、二つの例をあげながら説明しています。一つは3節の終わりです。「福音のためにわたしと戦ってくれたのです。」

 これは今のことではありません。昔のことです。今はもう、この二人はいさかいをしていて、教会の中ではお荷物になっているのです。けれどもパウロは、この二人がとても大切な二人であることを、この真実な協力者に理解してもらうために、「この二人は福音のために私と共に戦ってくれたのです!」と昔の経歴を持ち出したのでした。

 私たちは、教会の中で、今のことだけを見て、その人のことを判断してはならないのです。その人の昔のことまで見なければなりません。フィリピ教会において、教会がまだ始まったばかりの時、おそらくこの二人は献身的に仕えていたのでしょう。この二人は、かつてパウロと共に福音のために戦っていたのです。そして、そのことを神様はちゃんと覚えていて下さいます。ですからフィリピの教会は、その時のことまで思い起こしながら、この二人のことを大切な存在として心に留めなければならないのです。

 パウロは、今弱っている人、今躓いている人、今教会のお荷物になっているようなこの二人について、彼女たちは本当に大切な人であり、かつては私と一緒に福音の前進のために懸命に戦ってくれた人たちなのだから、どうかこの二人のことを支えてあげてほしい、とこの真実なる協力者に、二人を託しているのです。

 私たちも、教会の中で、このような仕方で一人一人のことを受けとめていかなければならないと思います。かつてのことも覚えていて下さる神様。私たちが成し遂げた一つ一つのことを、ちゃんと心に留めていて下さる神様。その神様は、たとえ私たちが今、疲れ果てていても、少々ゆがんだ道を歩んでいたとしても、この私のことを大切な存在として受けとめていて下さいます。だから、あなたもこの神様の思いをしっかりと受けとめて、教会の一人一人のことを覚え、特に今弱っている人、信仰が萎えている人、迷いの中にある人を、どうか支えてあげてほしい、これが今日のパウロの勧めです。

この二人の婦人が支えられるべき大切な人である、というもう一つの点は、この二人の婦人たちの名が「命の書」に記されている、という点です。「命の書に名を記されている」、これは天国に入るメンバーになっている、永遠の命を受ける者として神様のノートにちゃんと名が記されている、天国に国籍がある、という意味の言葉です。これは本当に心に深く刻むへき御言葉ではないかと私は思います。今、争い合っているこの二人は、信仰の点では随分とゆがんでしまった二人です。けれども、彼らの名は命の書にちゃんと記されているのです。

 パウロがこの争い合う二人の婦人に対して、はっきりと叱る言葉や、非難する言葉を一言も語らなかったというのは、とても印象的です。「主にあって」「主に結ばれて」と勧めました。イエス様の愛に目を向けさせようとしたのです。また二人がかつて成し遂げた奉仕を、ここに書き記しました。そして最後に二人の名が神様の命の書に記されていることを書いたのです。

 私たちは、様々な争いの中で、ただただ心を暗くするのではなくて、パウロのように、争い合うような者にまで注がれる神様の恵みに目を向けたいと思います。私たち一人一人が、この神様の恵みをしっかりと受けとめるならば、教会は、少しずつ争うことのない、愛に満ちた教会に整えられていくのではないかと思います。

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