千里摂理教会のメッセージ

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日本キリスト改革派 千里摂理キリスト教会の礼拝堂

2024年度の説教要約 (新しい順)

の日曜礼拝で語られた説教の要約を公開しています。

神の前を生きる 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 6章1節-4節

 今までにも何度もお話ししましたように、このイエス様の山上の説教は、法律の条文のようなものではありません。例えば、5章39節のところに、「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」と言わ…

キリストの降誕 聖句があります原稿があります

ルカによる福音書 2章1節-12節

ここに一組の若い夫婦がいます。ヨセフとマリアです。妻のマリアは、もう臨月を迎えています。ところが、そんな彼らのもとに予期せぬ知らせが届きました。何年もかかったと言われている大掛かりな人口調査が、ひ…

神にできないことはない 聖句があります原稿があります

ルカによる福音書 1章26節-38節

 ある日マリアは、天使から驚くべき知らせを告げ知らされました。「これまでずっと待ち望んでいた救い主が、あなたの胎から産まれる!」と。マリアもユダヤ人でしたから、救い主の到来を心から待ち望んでいたでし…

荒野で叫ぶ声 聖句があります原稿があります

マルコによる福音書 1章1節-8節

 洗礼者ヨハネは、イエス様が公の活動を開始する前に、人々に救い主であるイエス様を指し示し、あらかじめ救いの道を整えるために活動を開始した人です。では、具体的に彼は何をしたのでしょうか。4節にはこう言わ…

主の再臨の希望 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 24章29節-35節

今日から私たちは、クリスマスを前にしたアドベントの時を過ごします。このアドベントという言葉は、もともとはラテン語の「アドベニレ」という言葉から生まれた言葉です。もともとこれは「到来」を意味する言葉で…

敵を愛しなさい 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章43節-48節

 今日の御言葉の中心は44節の「敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」という御言葉です。この世の常識は、自分を愛してくれる人を愛する、自分によくしてくれる人に対して良いことをする、ということ…

復讐してはならない 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章38節-42節

「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい!」この御言葉は、聖書をあまり知らない人であっても、よく耳にする言葉ではないかと思います。この御言葉は、これまで多くの人々の魂を揺さぶり続けて…

誓ってはならない 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章33節-37節

 今日の箇所でイエス様が教えられたことを、一言で言い表すならば「一切、誓いを立ててはならない!」ということです。この教えは、私たちを戸惑わせるのではないかと思います。何故ならば、今、私たちが地上の生…

結婚の清さ 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章27節-32節

ここでは「あなたは姦淫してはならない」という十戒の第七番目の戒めが取り上げられています。姦淫の罪は、当時のユダヤ社会においては、結婚ないし婚約をしている人が、夫や妻、もしくは婚約者以外の異性と関係を…

殺してはならない 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章21節-26節

 前回、私たちは「あなたがたの義が律法学者やファリサイ派の人々の義にまさっていなければ、あなたがたは決して天の国に入ることができない」という御言葉を学びました。今日の箇所から、いよいよイエス様は、こ…

律法の完成者キリスト 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章17節-20節

 ここでの「律法や預言者」というのは、旧約聖書全体のことを言い表している言葉です。特にここでは、旧約聖書の中の神様の戒めのことが考えられているのだと思います。イエス様は、その頃のユダヤの掟に対して、…

地の塩、世の光 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章13節-16節

 今日の箇所でイエス様は、「あなたがたは地の塩である」、「あなたがたは世の光である」と言われました。この「あなたがた」というのは、直接的には、この「山上の説教」を聞いている弟子たちのことを指していま…

義のゆえに迫害される人々 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章10節-12節

10節のところでイエス様は、このように言われました。「義のために迫害される人々は、幸いである、天の国はその人たちのものである。」そして続く11節のところでは、このことを弟子たちに当てはめながら、このよ…

平和を実現する神の子 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章9節

イエス様は、平和を実現する人々は幸いである、と言われました。平和を実現するとは、争いや対立がある所に、平和を確立することです。あるいは、心の平安をかき乱す問題が起こった時に、その問題を解決し、平安を…

心の清い人々は幸いである 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章8節

「清い」とは、字のごとくに「汚れのない状態」という意味があります。もし、神様の御前に出るに相応しい清さが、「汚れのない状態」だけを指すのであれば、誰一人、神様の御前に立つことは出来ないでしょう。 し…

憐れみ深い人々は幸いである 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章7節

「憐れみ深い人々は、幸いである、その人たちは憐れみを受ける」とイエス様は教えられました。憐れみ深い人の幸いは、神様から憐れみを受けることなのです。では神様の憐れみとは、いったいどのようなものなのでし…

義に飢え乾く人々は幸いである 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章6節

イエス様は、「義に飢え渇く人々が神様から祝福されている」と言われました。では「義に飢え渇く」とは、いったいどういう意味なのでしょうか。この「義」という言葉には、色んな意味があります。神様の正義、神様…

柔和な人々は幸いである 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章5節

この「柔和な」という言葉は、マタイによる福音書には、あと二箇所出てきます。一つ目は11章29節です。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だ…

悲しむ人々は幸いである 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章4節

 私たちは、それぞれに様々な悲しみや苦しみを抱えながら生きています。愛する者を失った悲しみの中で懸命に生きている人がいます。自分の病気や怪我や障害、あるいは老いの現実の中で悲しんでいる人がいます。家…

聖書が教える幸い 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 5章1節-3節

この「幸いである」という言葉は、「幸福な気持ちを味わっている」という意味の言葉ではありません。自分が幸福な気持ちでいるかどうかが問題なのではなくて、「あなたは神様から祝福されている」というう意味で「…

弟子の召命 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 4章18節-25節

先週、私たちは、イエス様がいよいよ公の宣教活動を開始なさったという記事を読み進めました。イエス様は、ユダヤ教の中心地であるエルサレムからではなくて、「異邦人のガリラヤ」と人々から蔑まれていた辺境の地…

主イエスの伝道開始 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 4章12節-17節

イエス様は、公の伝道を開始なさる場所として、ユダヤ教の中心地であるエルサレムを選ばれたのではなくて、それとは全く対照的に、辺境の地、ガリラヤを選ばれました。そしてマタイは、「それは預言者イザヤを通し…

荒れ野の誘惑 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 4章1節-11節

先週学びましたように、イエス様は、洗礼者ヨハネから洗礼を受けられ、私たち罪人の列に加わって下さいました。人間がなすべき正しいことを全て成し遂げる決意をもって歩み出して下さったのです。その直後に経験さ…

主イエスの洗礼 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 3章11節-17節

イエス様は、洗礼を受けるために洗礼者ヨハネのもとに集まってきた民衆の列の中に紛れておられました。民衆に紛れ、民衆と同じように洗礼者ヨハネから洗礼を受けられたのです。これが公の活動を開始なさる前に、イ…

悔い改めよ 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 3章1節-10節

 洗礼者ヨハネは、荒れ野で民衆に向かって「悔い改めよ。天の国は近づいた」と厳しく悔い改めを迫りました。「悔い改め」という言葉は、通常、世間一般では、悪人が今までの生き方をやめて、まじめに生き始めた時…

真の王 ナザレ人イエス 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 2章13節-23節

 旧約聖書を見ると、「彼はナザレの人と呼ばれる」という言葉が、そのままの形で、預言者の口を通して語られたことはありません。これは「彼はナザレの人と呼ばれる」という事柄自体が意味していることが旧約聖書…

異邦人の救い 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 2章1節-12節

 マタイは、東の国の占星術の学者たちが、不思議な星に導かれて、遠い国からはるばるユダヤの国まで旅を続け、ついには幼子イエス様を見つけ出し、黄金、乳香、没薬を捧げて礼拝した、という物語を伝えています。…

その名はインマヌエル 聖句があります原稿があります

創世記 マタイによる福音書1章18節-25節

主の天使は、生まれてくる子供を「イエス」と名付けるように、とヨセフに命じました。この「イエス」という名前は、当時のユダヤにおいては、全くありふれた名前でした。この「イエス」という名前は、当時、長男に…

系図が語る福音 聖句があります原稿があります

マタイによる福音書 1章1-17節

 今日の箇所には、アブラハムから始まり、イエス・キリストに至るまでのイスラエルの歴史、系図が記されています。この系図に登場する人物を見てみると、決して立派な人たちばかりではないことが分かります。汚れ…

復活の希望 聖句があります原稿があります

コリントの信徒への手紙一 15章20節-28節

 キリストの復活が肉体をもっての復活であったように、私たちにも、体の甦り、肉体における復活が約束されています。そして、その復活は、当然のことながら、まだ私たちの内には起こっていません。これは魂におい…

身代わりの十字架 聖句があります原稿があります

ルカによる福音書 23章13節-25節

 今日の物語は、イエス様の十字架が「身代わりの十字架であった」ということを描いている物語です。バラバの代わりにイエス様が十字架について下さいました。それこそ壮絶な鞭で打ち叩かれ、もうボロボロになって…

献げる幸い 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 4章14節-23節

 フィリピ教会は、牢獄にいるパウロのことを、献金というかたちで支援していました。パウロは、それに対する感謝を、先週学んだ10節のところから書き始めていたのです。今日の箇所には、このフィリピの教会が献げ…

喜びに生きる秘訣 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 4章10節-13節

パウロは、今日の箇所から、その献金に対する感謝を述べ始めています。パウロの手紙の文面からすると、どうやらフィリピ教会からの献金がしばらく滞っていたようです。当時の牢獄の食事は、非常に貧素で、差し入れ…

福音的生活 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 4章8節-9節

 今日の箇所には、クリスチャンらしい実生活を送っているならば、その生活の中に神様は共にいて、私たちの生活を平安で満たして下さる、と教えてくれています。では、クリスチャンらしい実生活とは、いったいどう…

思い患いから平安へ 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 4章6節-7節

 今日の箇所でパウロは「思い煩うのはやめなさい」と勧めました。これは、実際に大きな心配事を抱えている人にとっては、少々腹立たしい言葉に聞こえるのかもしれません。「どうして、そんな呑気なことが言えるの…

主は近くにおられる 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 4章4節-5節

 パウロは今日の5節のところで、「あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。」と勧めました。この「広い心」という言葉は、原文では非常に深い意味をもつ言葉が用いられています。パウロは、他の手…

キリストにある一致 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 4章2節-3節

 今日の御言葉は、フィリピ教会の中で起こっている争いを解決するために、パウロが書き記した勧めの言葉です。争い合っていた二人は、エボディアとシンティケという婦人たちでした。 3節のところでパウロは、ある…

本国は天にある 聖句があります原稿があります

フィリピの信徒への手紙 3章15節-4章1節

 今日の箇所でパウロは、キリストを信じる者たちの生き方を、このように言い表しました。「わたしたちの本国は天にある」と。「私たちの本国は天にある」、この御言葉は、ある時には、私たちに警告を与え、またあ…

教会の土台 聖句があります原稿があります

コリントの信徒への手紙一 3章10節-15節

 教会の土台は十字架と復活のイエス・キリストです。しかし、たとえその土台の上に建物を建てるにしても、それを何によって建てるかによって、その建物の姿は随分と変わってきます。ですから、私たちは自分の人生…